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東京地方裁判所八王子支部 平成7年(わ)103号 判決

主文

被告人を懲役三年六月に処する。

未決勾留日数中六〇〇日を右刑に算入する。

理由

(犯罪事実)

被告人は

第一  平成四年九月二五日午後五時四分ころ、東京都多摩市永山〈番地略〉所在の株式会社三菱銀行多摩支店小田急永山駅出張所三菱クイックコーナーにおいて、正当な使用権限のない多摩ニュータウン△△団地管理組合理事長丁川一郎名義のキャッシュカードを利用し、同所に設置された自動支払機から同支店長平塚秀樹管理にかかる現金一〇〇万円を引き出してこれを窃取した

第二  同月二六日午前九時三分ころから同日午前九時五分ころまでの間、同市落合〈番地略〉所在の住友信託銀行株式会社新宿支店多摩センター出張所キャッシュコーナーにおいて、正当な使用権限のない前記キャッシュカードを利用し、前後四回にわたり、同出張所に設置された自動支払・預入機から同出張所長守屋和郎管理にかかる現金合計三二〇万円を引き出してこれを窃取した

第三  同月二六日午前九時一一分ころ、同市落合〈番地略〉所在の株式会社三菱銀行多摩センター支店三菱クイックコーナーにおいて、正当な使用権限のない前記キャッシュカードを利用し、同所に設置された自動支払機から同支店長石川真孝管理にかかる現金一〇〇万円を引き出してこれを窃取した

第四  同月二六日午前九時一二分ころ、同所所在の株式会社富士銀行多摩センター支店キャッシュコーナーにおいて、正当な使用権限のない前記キャッシュカードを利用し、同所に設置された自動支払機から同支店長坂井信行管理にかかる現金五〇万円を引き出して窃取した

ものである。

(証拠) 〈省略〉

(事実認定の補足説明)

本件各公訴事実は、判示第一ないし第四の認定事実と同じ、被告人が、平成四年九月二五日午後五時四分ころに一回、同月二六日午前九時三分から午前九時五分ころまでの間に四回、同日午前九時一一分ころ及び午前九時一二分ころに各一回、東京都多摩市内の株式会社三菱銀行多摩支店小田急永山駅出張所三菱クイックコーナーほか三か所において、正当な使用権限のない多摩ニュータウン△△団地管理組合理事長丁川一郎名義のキャッシュカードを使用して、現金自動支払機から現金合計五七〇万円を引き出して窃取したというものである。

弁護人は、本件各公訴事実について、(1)本件各犯行時における被告人のアリバイの存在、(2)捜査当局の本件窃盗事件に関する捜査開始当初からの被告人を犯人と見込んだ杜撰な捜査による客観的証拠の収集懈怠、特に、現金引出しに用いられたキャッシュカードと被告人との関係や被告人と本件当時△△団地管理組合の経理担当理事乙山春男の妻夏子の失踪との結びつき、各犯行現場に設置された防犯ビデオ画像に映し出された人物が着用している着衣、ヘルメット及びこれらと被告人との結びつき等に関する客観的証拠の不存在、(3)被告人と右防犯ビデオ画像に映し出された人物との同一性に関する水口清作成の鑑定書(甲三二)及び第七、八回公判調書中の水口証人の供述部分(以下、これらを単に「水口鑑定」という)、石山翌夫作成の鑑定(甲一〇四)及び同人に対する当裁判所の証人尋問調書(以下、これらを単に「石山鑑定」という)の証拠価値の不存在等、多岐にわたって検察官の立証が不十分である旨指摘して、被告人は無罪であると主張する。

しかしながら、前掲各証拠を総合すると、被告人が本件各犯行に及んだとの事実はこれを肯認することができる。以下、所論にかんがみ、事実認定の理由について説明を付加する。

一  本件各犯行発覚に至る経緯等

前掲関係証拠によれば、概略、以下の事実が認められる。

1  被告人は、昭和六三年四月ころ、団地管理業を営む株式会社××に入社し、そのころから同社が管理業務の委託を受けていた多摩ニュータウン△△団地(以下、「△△団地」という)の管理人となり、平成元年一〇月、同社が△△団地管理組合から右委託契約を解除され、代わって○○株式会社が新たに同管理組合との間で管理業務委託契約を締結したのに伴い同社に入社し、同社社員として△△団地の管理人となり、平成二年四月からは、同社から独立し、同社の社員としてではなく、同社の委託業者として引き続き△△団地の管理人業務に従事していた。また、被告人は、昭和六三年ころから平成五年二月まで、朝日新聞多摩センター店で新聞配達のアルバイトをしていた。

2  △△団地管理組合では、理事長、副理事長各一名、業務、会計、書記担当の理事各一名のほか、文化、設備、広報担当の理事、監事で構成される役員を置いていたところ、平成四年度については、理事長に丁川一郎、会計担当理事に乙山春男(以下、「春男」という)が選任されていた。春男は、同年度における会計担当理事として管理組合理事長名義の〈1〉三菱銀行多摩支店の普通預金、〈2〉同銀行多摩センター支店のスーパーMMC、〈3〉同支店の定期預金、〈4〉同支店の通知預金等の通帳合計九冊及び理事長印等を保管・管理していたが、勤務先会社での仕事多忙等を理由に右各通帳や理事長印の管理・保管を妻の乙山夏子(以下、「夏子」という)に補助させていた。他方、被告人は、△△団地の管理人として、集会所使用料、バイク置場使用料、駐車場利用代金、管理費等を徴収してこれを会計担当理事の春男に渡す職務に従事していたほか、毎月、春男から一〇万円程度の現金を預かり、管理組合の小口出費に充てるなどしていたが、管理組合の預金及びその通帳等の保管・管理の権限はなかった。また、管理組合は、年度初めの定期総会に前年度の決算報告書や貸借対照表等を提出していたが、被告人は、平成三年度の右報告書等をワープロで清書するなどしたことから、同年度末の管理組合の預金残高等を知っていた。

3  夏子は、平成四年四月末ないし五月初旬ころ、春男に管理組合が定期的に支払わなければならない現金の出し入れ等を通帳を使って銀行窓口で行うことの煩雑さを避けたいとしてキャッシュカードを作成したいと申し出、同人もこれを了承したが、春男は、その際、同カードの暗証番号を△△団地管理事務所の電話番号の下四桁「****」とするように言い、夏子もこれを了承した。夏子は、同年五月二五日、三菱銀行多摩支店において、前記2の〈1〉の普通預金につき三菱クイックカードと称するキャッシュカードの作成を申し込み、同年六月一〇日に同カードが夏子に交付されたが、同カードの暗証番号は右「****」ではなく、被告人が平成元年、同二年に借金したことなどの関係で取引のある株式会社マルフク相模原営業所の電話番号の下四桁と同じ「××××」となっていた。春男は、右キャッシュカードの作成につき、管理組合の理事長ないし理事会の事前の了承を得てはいなかったが、清水理事長の言によれば、事前にその旨の申し出があれば了承していたというのであって、右カード作成については、いわば推定的承諾があったと見られ、同カードの使用権限は、会計担当理事である春男に帰属し、同人及び同人からその使用が許された者以外にはこれを使用する正当な権限はなかった。そして、春男は、日頃は同カードを前記各預金通帳九冊とともに、ドキュメントファイルに入れ、同人方六畳和室の押入れの中に保管していた。

4  夏子は、同年九月二五日午前一〇時から午前一一時二〇分ころまでの間、自宅近くの滝本治療院で針治療を受け、午前一一時四一分ころ、その近くのスーパーマーケット「ヤマザキ」松ケ谷店でうどん三食分やコロッケ二個などを購入した。そして、春男夫婦の長男秋男が同日午後三時ころ帰宅してみると、夏子の姿はなく、台所のテーブル上には、口をつけていないコロッケ一個を盛った皿、上に箸を乗せ中に半分位のうどんの入った丼、半分位残された麦茶が置かれたままであった。同女は、この日の午後府中市内にある実家丙原冬夫方に階段の滑り止めを届けに行く予定になっていたが、実家には行っておらず、階段の滑り止めも自宅に残されたままであった。そして、夏子は、同日午後〇時三〇分ころ、△△団地四号棟前の道路を同団地商店街の方向に歩行しているのを知人に目撃されたのを最後に、現在にいたるまでその行方が不明である。

5  被告人は、妻花子に「日産緑化に工事代金を支払うため会計担当理事から定期預金の解約を依頼されて通帳を預かった」旨告げた上、同日午後二時二〇分ころ、株式会社三菱銀行多摩センター支店に赴き、前記2の〈2〉ないし〈4〉の各預金(元金合計二四三一万四二五四円)の解約手続をし、その解約払戻金二四五一万九二九円を前記2の〈1〉の普通預金口座(口座番号〈省略〉)に入金した。ところで、△△団地管理組合にあっては、日産緑化株式会社に対し、団地の駐車場増設工事代金二四〇〇万円余の支払義務を負っていたが、その代金は住宅金融公庫から融資を受けて支払う手筈となっていて、管理組合の定期預金等を解約して支払うなどと決めていたことはなく、丁川理事長はもとより、会計担当理事の春男も管理組合の定期預金等の解約を意図したことはなく、春男が夏子にそのような指示をしたこともなかった。

6  同日午後五時四分ころ、フルフェイス型のヘルメットを被り、つなぎのレインウェアを着た犯人が、株式会社三菱銀行多摩支店小田急永山駅出張所三菱クイックコーナーにおいて、前記キャッシュカードを使用し、当時同所に一台しか設置されていなかった現金自動支払機から現金一〇〇万円を引き出した(判示第一)。右自動支払機は、右犯行直後にジャーナルの巻き上げ不良を起こし、自動的に取扱中止となったため、犯人は、同支払機から引き続き現金を窃取することが不可能となった。右三菱クイックコーナーには防犯カメラが設置されており、これにより撮影されたビデオテープには犯人の現金引出し状況が録画されている(以下、これを「番号一の犯人画像」という)。

7  春男は、同日午後一〇時過ぎに帰宅したが、夏子は居らず、室内には二個ある車のキーや夏子が普段外出時に使用しているバッグ、財布が残されており、台所のテーブル上には同女の筆跡で「甲野さんにTelコピー代領収書の件」と記載されたメモ用紙(甲八〇-平成七年押第七七号の1)が置いてあるのに気づいた。そして、春男は、自分が連絡して同人宅に来た夏子の両親に留守番を頼むなどして、翌二六日午前三時過ぎころまで夏子を探したが同女を発見することはできなかった。そこで、春男は、同日午前七時三〇分ころ、家族ぐるみで親しくしているAに電話をして夏子の行方が分からなくなった旨告げ、間もなく明方に来たAと相談の上、夏子の失踪を警察に届け出ることにし、同日午前八時五分ころ、Aとともに松ケ谷派出所に行ったが警察官が不在のため、同所の電話を使い、連絡先となっていた番号どおりに電話すると、八王子警察署防犯課に来るように言われたので、同課に届け出ることにして午前八時一五分ころ一旦帰宅した。

8  春男は、八王子警察署に夏子の失踪を届け出に行くにあたり、前記「甲野さんにTelコピー代領収書の件」と記載されたメモが目にとまったことから、夏子が前日(九月二五日)被告人と接触したのではないかと考え、Aとともに被告人方(自宅兼管理事務所)を訪れ、被告人とその妻花子に夏子が前夜帰宅しなかったなどと告げた。すると、被告人は、前日夏子に電話したとか、同女がその日の午後〇時半ころ管理事務所に来て団地駐車場を利用する住民の駐車料金自動引落し状況等を確認するためのチェックリストのチェックを被告人に頼み、チェックリストと印鑑箱を預けていったなどと説明し、チェックリストと印鑑箱を春男に見せた。春男は、九月二六日午前八時三〇分ころ、被告人にこれから警察に行く旨告げてAとともに同所を退去した。花子は、同日午前八時三五分ころ、春男方に電話を掛け、応対に出た夏子の父に対し、春男に管理事務所に電話するようにとの伝言を頼み、夏子の父はその旨メモ(甲一〇六-平成七年押第七七号の10)した。春男は、午前九時前ころ八王子警察署に到着し、警察署に着いたことを自宅に電話すると、夏子の父から右伝言を知らされ、直ぐに管理人室に電話したところ、花子から「通帳のことは話していなかったようですけれども、通帳も預かっています」と言われて被告人の手元に管理組合の通帳があることを知った。春男は、花子との電話を終えてから同警察署保安課に夏子の行方不明を届け出て、同日午前一一時ころ、Aとともに管理事務所に寄り、被告人に右通帳の件を聞くと、被告人から「奥さんから『九月二八日一四時に駐車場の工事代金を受け取りに日産緑化が来るが、今の預金では足りないので、定期預金を解約して普通預金に振り替えてほしい。自分はやっている暇がないのでお願いします。今日は遅くなるので、通帳は二八日まで預かっておいてくれ』と言われた」などと言われて一旦帰宅したが、通帳は返してもらったほうが良いと考え、同日午前一一時三〇分ころ、再度管理事務所を訪れ、被告人から茶封筒に入った前記預金通帳九冊や管理組合理事長印の返還を受けた。その際、たまたま管理事務所に丁川理事長が来たので、同人に駐車場の工事代金の支払いの件について尋ねたところ、九月二八日に日産緑化へ駐車場の工事代金を支払う話などないとのことであった。

9  春男は、丁川理事長とともに自宅に戻り、通帳を確認したところ、前記定期預金等が解約され、その解約払戻金が前記2の〈1〉の普通預金口座に入金されていることを知り、キャッシュカードを探したが見当たらず、普段預金通帳等を入れていたドキュメントファイルがなくなっていることに気が付き、丁川理事長らとともに三菱銀行多摩センター支店を訪れ、普通預金の払戻状況を調査してもらったところ、九月二五日に前記のとおり一〇〇万円が、翌二六日に右普通預金から合計四七〇万円が引き出されていることが判明した。そこで、春男は、直ちにキャッシュカードを無効にする手続をし、同日午後〇時五五分ころ、同カードの効果停止措置が採られた。

10  九月二六日の右預金払戻は以下のような状況で行われている。すなわち、フルフェイス型のヘルメットを被り、つなぎのレインウェアを着た犯人は、同日午前九時三分ころから午前九時五分ころまでの間、住友信託銀行株式会社新宿支店多摩センター出張所キャッシュコーナーにおいて、キャッシュカードを使用して現金自動支払機から四回にわたり現金合計三二〇万円を引き出し(判示第二)、午前九時一一分ころには、同所から約三二二・二五メートル離れた株式会社三菱銀行多摩センター支店三菱クイックコーナーにおいて、同カードを使用して現金自動支払機から現金一〇〇万円を引き出し(同第三)、引き続き右自動支払機から現金を引き出そうとしたが、同カードの一日の支払限度額五〇〇万円を超過することになることから引出すことが出来なかった。更に、右と同様のヘルメットにつなぎのレインウェア姿の犯人は、同日午前九時一二分ころ、右三菱クイックコーナーから約三三・五メートル離れた株式会社富士銀行多摩センター支店キャッシュコーナーにおいて、同カードを使用して現金自動支払機から現金五〇万円を引き出し(同第四)、更に現金を引き出そうとしたが、同カードの一日の支払限度額を超過することとなって引き出すことが出来なかった。ところで、住友信託銀行、三菱銀行、富士銀行の右各キャッシュコーナーには、それぞれ防犯カメラが設置されていて、これらにより撮影された各ビデオテープには、それぞれ犯人の行動状況が録画されていた(以下、これらを順に「番号二ないし五の犯人画像」、「番号六の犯人画像」、「番号七の犯人画像」という)。

二  右各事実関係についての検討

1  前記のように、夏子は、九月二五日午後〇時三〇分ころ、△△団地四号棟前の道路を同団地商店街の方向に歩行しているのを知人に目撃されたのを最後に、その行方が不明であるところ、夏子の同日午前中の前記滝本治療院で受けた針治療、その近くのスーパーマーケットでの買い物、同日午後の実家への訪問予定とその目的、長男秋男が帰宅した時点での台所のテーブル上に残されたコロッケやうどんの入った丼等の状態、春男が同日午後一〇時過ぎに帰宅した時点で室内に車のキー、夏子のバッグ、財布や「甲野さんにTelコピー代領収書の件」と記載されたメモ紙が残されていたことや、第二、三回公判調書中証人春男の各供述部分によって認められる春男夫婦の長男を含めた当時の良好な家族関係、夏子の性格等を加味考慮すると、夏子が自分の意思で家出をしたとは考えられない。

2  夏子が右「甲野さんにTelコピー代領収書の件」と記載されたメモ紙を自宅に残していたこと、被告人が、前記一の5認定のとおり、九月二五日の午後二時二〇分ころ、三菱銀行多摩センター支店において、管理組合理事長名義の同支店のスーパーMMC、定期預金及び通知預金を解約してその払戻金二四五一万余を右理事長名義の同支店の普通預金口座に入金していること、九月二六日午前一一時過ぎころには春男に右預金通帳を返還していることからすると、被告人が同月二五日昼ころに夏子と接触し、同女から右預金通帳や管理組合の理事長印などを入手したことは明らかである。そして、被告人が三菱銀行多摩センター支店で管理組合の定期預金等合計二四三一万四二五四円の解約手続をし、その解約払戻金二四五一万九二九円を同組合の普通預金口座(口座番号〈省略〉)に入金した同日午後二時二〇分ころからわずか約二時間四〇分後には犯人が三菱銀行多摩支店小田急永山駅出張所三菱クイックコーナーにおいて、前記キャッシュカードを使用し、現金自動支払機から現金一〇〇万円を引き出しているのであって、右現金を引き出した犯人が被告人以外の第三者であるとするにはあまりにもタイミングが良過ぎて不自然である。

ところで、被告人は、翌二六日の午前一一時ころ、夏子の失踪を警察署に届け出ての帰りに管理事務所に寄った春男から管理組合の預金通帳を被告人が所持していることについて問いただされると、前記一の8で認定したような返事をし、公判段階においても、管理組合の定期預金等を解約して普通預金に振り替え入金した理由について、被告人が九月二六日に春男に説明したのと同旨の弁解をし、花子も公判段階において、被告人から同様の説明を聞いていた旨供述している。

しかしながら、管理組合の日産緑化に対する駐車場増設工事代金三〇〇〇万円余のうち、二四〇〇万円余を住宅金融公庫からの融資を受けて支払うことになっていて、その融資も九月二五日の時点で決まっていたというのであるから、管理組合としては、右融資額に見合う額の金員を九月二五日に同組合の定期預金等を解約して普通預金に振替入金しておく必要はなく(現に九月二五日に住宅金融公庫から管理組合の丁川理事長名義の普通預金口座に二四二五万九一〇〇円が振込入金されている)、春男が被告人の言うようなことを夏子に話したことがないことはもちろん、丁川理事長でさえも右のような預金の振替など考えたこともないというのであるから、夏子が被告人に定期預金等を解約して払戻金を普通預金に入金するよう頼んだとは思われず、したがって、被告人が夏子から右定期預金等の解約やその払戻金の普通預金への振込を頼まれたとの弁解は非常に不自然であり、花子に対する右同様の説明も結局のところ嘘をついたものと見るのが自然である。しかも、被告人は、九月二六日午前八時二〇分ころ被告人方を訪れた春男から夏子が行方不明になったと告げられた際、自分が前日夏子に電話を掛けたとか、同女が前日の昼ころ管理事務所に来てチェックシートと印鑑箱を預けて行ったなどと説明したものの、夏子から右定期預金等を解約して払戻金を普通預金に入金するよう頼まれて預金通帳を預かった点については説明していない。被告人が夏子から真実右のような依頼を受けて預金通帳を預かったというなら、九月二五日に定期預金等を解約して二四〇〇万円余という大金を普通預金に振り替えるという管理組合にとって重大で被告人にとっても忘れようもない事務手続を現に代行していた被告人としては、このことを真先に経理担当理事の春男に告げるのが自然であるのにこれを告げないということ自体不自然というほかはない。なお、被告人は、公判段階において、自分は九月二六日の朝自宅を訪れた春男から夏子の行方不明を告げられた際に同女から預金通帳を預かっていることを春男に告げている旨弁解する。しかし、被告人の言うとおりだとすれば、花子が、九月二六日の朝、春男が二度目に被告人方を訪れ、夏子の失踪の事実を警察署に届け出る旨告げて退出した後、預金通帳を預かっていることを知らせるため、わざわざ春男に電話を掛け、留守番をしていた夏子の父親に対し、春男に管理事務所に電話するようにとの伝言方を依頼する必要はないこと、春男が前記公判調書中において、被告人方を最初に訪れた際に被告人から預金通帳を預かっていると告げられたことはない旨供述していることに照らすと、被告人の右弁解も信用しにくいところである。

このように、被告人の預金通帳を入手した経過や状況に関する前記弁解には不自然な点が多々あって直ちに信用することができない。

3  以上によれば、被告人は、春男が九月二六日の朝、最初に被告人方を訪れた際、自分が管理組合の預金通帳九冊を所持していることを春男に隠していたと考えるのが自然であり、また、被告人が九月二五日に妻の花子に対し、夏子から△△団地の駐車場増設工事代金の支払手続を依頼されたなどと言い、九月二六日に夏子の安否を心配する春男が二度目に被告人方を訪れた際にも同様の説明をしたのは、結局のところ、被告人が春男だけでなく自分の妻に対しても嘘をついたと考えざるをえないところ、当初自分が預金通帳を所持していることを隠し、次の時点で嘘をついてまで預金通帳を所持していることを正当化しようとしたことは、被告人が本件窃盗の犯人であることを推認させる事情の一つであるというべきである。加えて、被告人は、公判段階で、右通帳や理事長印がドキュメントファイルと同じものを意味すると思われるプラスチックケースに入っていたこと自体は認めているところ、前記一の3で認定したように、春男は、日頃、本件キャッシュカードを被告人が九月二五日の時点で入手していた前記各預金通帳九冊等とともにドキュメントファイルに入れて同人方六畳和室の押し入れの中に保管していたのであるから、被告人が預金通帳を入手した時点でそのドキュメントファイルにキャッシュカードも入っていた可能性は高く、そうすると、被告人が春男に預金通帳九冊及び理事長印を返すときはそれらが茶封筒に入れられていて、預金の出し入れに必要な物としてはキャッシュカードだけがなかったというのは被告人がそのキャッシュカードを抜き取っていたことを窺わせる一事情と考えるのが自然である。また、そのキャッシュカードの暗証番号が、どのような経過をたどって決められたのかは判然としないが、当初春男と夏子が予定していたのとは別で、同カードが作られる以前に被告人が借金等していた株式会社マルフク相模原店の電話番号の下四桁と同じ「××××」という被告人のいわば覚え易い番号であって、それが単なる偶然の一致とは考えにくいところである。

更に、関係証拠によれば、次の事実が認められる。すなわち、警察官が、平成六年一二月三日午後六時三〇分ころ、被告人の身体に対する鑑定処分許可状、身体検査令状を執行するために被告人宅に赴き、住友信託銀行新宿支店多摩センター出張所キャッシュコーナーへの同行を求めたところ、被告人は、「弁護人と一緒でなければ行かない」などと言って同行を拒否して自宅の二階に上がってしまった。その後、警察官は、被告人と弁護士とが連絡を取り合う過程で、被告人を右キャッシュコーナーに同行することについて弁護士の了解を求めてその了解を得たところ、被告人は、同日午後八時三〇分ころ二階から降りてきたが、その際、被告人の頚部には被告人が二階に上がるまでは認められなかった火傷様の傷痕ができていた。警察官は、同日午後一〇時三〇分前ころ、弁護士や被告人の妻に付き添われて右キャッシュコーナーに来た被告人に前記令状を執行したが、その際、被告人は、前記防犯カメラに写る犯人と被告人との同一性についての鑑定を依頼されて同所に来ていた水口鑑定人から頚部の傷痕について聞かれたが何も答えなかった。右頚部の傷痕は、喉頭隆起を中心に左右八センチメートル、上下七センチメートルの範囲に合計七か所あり、高熱の物体に接触して生じた第三期の火傷と考えられる傷痕であり、同月六日に被告人の頚部を直接見分した石山鑑定人によると、右傷痕はいずれも検査日において受傷後数日(二-三日)を経過しているというのである。

弁護人は、被告人の頚部の受傷時期、成傷器についての石山証言及び同人作成の鑑定書(甲一〇三号)、第六回公判調書中前記鑑定処分許可状等の令状執行に際しての被告人の言動に関する警察官横溝和芳の供述部分は信用できず、他に被告人の頚部の傷痕から被告人が罪証隠滅工作に及んだ事実を認めるに足りる証拠はない旨主張する。

たしかに、被告人の頚部の傷が何によってできたのかを直接証明する客観的な証拠は発見されていない。また、石山証人が当裁判所の尋問調書中で、弁護人から水口鑑定書(甲三二号)添付の頚部の傷痕の写った写真を示されて、それが受傷後どの程度経過しているか質問されて、「何日も、ないだろうと思います。何週でしょうね」などと曖昧な供述もしていることは、弁護人指摘のとおりである。

しかしながら、成傷器が発見されていないことから傷の程度が専門家によって判定できないいわれはなく、石山鑑定人は被告人の頚部の傷痕については皮膚科の専門医師の補助により、受傷時期を推定しており、成傷器についても「電気ごて」と断定しているわけではないのであって、その鑑定内容は格別不合理ではなく、受傷時期について曖昧な供述をしたことから直ちに石山鑑定書(甲一〇三号)の信用性が失われることにはならない。また、横溝警察官は、被告人の頚部を検査するために鑑定処分許可状等の令状を執行しようとしたものであり、直接被告人宅を訪れた別の警察官が被告人の身体に対する観察結果を横溝警察官に報告することは十分あり得ることであって、横溝警察官の右供述に格別不自然なところはなく、同警察官が被告人の頚部の傷痕ができる前後の状況を直接見ていなかったからといって右警察官の供述の信用性が失われることにはならない。

被告人は、公判段階において、頚部の傷痕は妻に指摘されるまで気づかなかったとか、これが火傷だとすれば、天ぷらを揚げたとき油が飛んだのではないかと思うなどと弁解している。しかしながら、右火傷の程度にかんがみると、被告人の言う天ぷらを揚げる際に油が飛んだくらいでできたものとは考えにくく、被告人が受傷の際に気が付かなかったというのはいかにも不自然であり、他に右頚部の傷痕について納得のいく説明ができていないのであって、被告人の右弁解は信用することができない。

以上によれば、被告人の頚部の右傷痕は被告人が自ら頚部に傷を付けたことによってできたと見るのが自然であり、何故頚部に傷を付けなければならなかったのかについての合理的な説明ができていない本件にあっては、弁護人指摘の諸点を考慮しても、右被告人の行動は、本件について被告人が犯人であることを窺わせる一事情と考えざるをえない。

そして、後述するように、犯人がキャッシュカードを悪用して預金を引き出した各時間帯における被告人のアリバイがないことをも併せ考えると、被告人が本件各犯行の犯人であるとの蓋然性が非常に高いというべきである。

三  番号一、同二ないし五、同六、同七の犯人画像と被告人との関係

1  各犯人画像の同一人物性について

坂田鑑定は、住友信託銀行新宿支店多摩センター出張所の防犯カメラが九月二六日に撮影した犯人をVHSビデオテープに収録したもの(番号二ないし五の犯人画像)二本、三菱銀行多摩支店小田急永山駅出張所の防犯カメラが九月二五日に撮影した犯人像(番号一の犯人画像)、三菱銀行多摩センター支店の防犯カメラが九月二六日に撮影した犯人像(番号六の犯人画像)、富士銀行多摩センター支店が同日撮影した犯人像(番号七の犯人画像)を一括してVHSビデオテープに収録したもの一本を鑑定資料とし、これらのビデオテープをコンピューターを使い画像処理を行って比較資料を作成し、この中から犯人を確認できるフレームだけを取り出して一秒間一フレームのデジタルビデオを作成し、その画像の変化を確認しながら検査用画像を作成し、これらについて、〈1〉犯人がかぶっているヘルメットの形状、色(番号二ないし五の鑑定資料がカラー画像で、その余の資料が白黒画像であるが、ヘルメットの色については比較可能であるとされている)、会社等のネームシールの存否、左シールドネジ止めやその下の顎ガード部のシールの存在、〈2〉犯人の着衣の形状、右大腿部のポケット、左上腕部の楕円形のマーク、黒手袋の着用(色については右〈1〉と同様)、〈3〉犯人の性別、身体的特徴(やせ型で長身で右利き、頭髪の長さ・くせ・分け目)、〈4〉犯人が左手に黒いゴミ袋様の物を持っている状況について比較検討し、すべての画像上、右の各点について相違点がないとして、各犯人画像に映された犯人は同一の男性であるとしている。その鑑定手法や鑑定結果に不合理な点はなく、右鑑定結果は十分に信用することができる。そうすると、本件各犯行は同一の男性による犯行であると認められ、右認定を左右するに足りる事情は存在しない。

2  番号二ないし五の犯人画像と被告人との同一性について

(1) 水口鑑定について

〈1〉 水口鑑定は、番号二ないし五の犯人画像(住友信託銀行新宿支店多摩センター出張所のATM五号機上の防犯カメラで平成四年九月二六日に撮影し、VHSビデオテープに収録した犯人画像)、右防犯カメラで平成六年一二月三日に撮影し、VHSビデオテープに収録した被告人画像、右同日、同所で八ミリビデオカメラで撮影し、VHSビデオテープに収録した被告人画像を鑑定資料とし、犯人画像をSuper・Mac社製のデジタルフィルムを用いてマッキントッシュコンピューターに取り込み、日本ビクター社製の昇華型プリンターにより拡大印画した画面を写真撮影し、これを透過像の得られるフィルムを使って等倍に焼き直した画像に重ね合わせて比較し、犯人を、肩の位置が正面像で身長一七三センチメートル、背面像で身長一七一・八センチメートルの人に相当し、身長の割にやや肩の位置が低く、犯人が身長一七五センチメートル前後の男性と推定し、被告人画像とでは、その身長、背面の外観、腰、臀部、下肢や大腿部、身体の軸等、その体型が符合するとし、さらに、犯人画像のうち頚部の写っている画像では、喉頭隆起及び輪状軟骨の隆起が明瞭に識別でき、頚部の皮膚表面にいくつかの線状模様が確認されたことから、右画像処理した犯人画像のうちの頚部画像を写真撮影し(同鑑定書の図33-1)、透過像の得られるフィルムを使って等倍に焼き直して右図33-1の画像に重ね合わせ、右画像上に現れた皮膚表面上の線状模様をトレースし、これを被告人の頚部画像と比較対象すると、被告人画像に現れた皮膚の皺、喉頭隆起、輪状軟骨の特徴が犯人画像のそれと一致しているとして、犯人と被告人とが同一人物であると判定している。

〈2〉 弁護人は、水口鑑定は信頼に値しないと主張し、その理由として、a鑑定人が電気工学的知識を前提にした画像認識の技能を有していないので鑑定人としての適格性がない。b犯人画像と被告人画像を比較するに際し、その身体的特徴の尺度として挙げる体型、喉頭隆起、輪状軟骨の状況等に関する分類自体が統計学的観点を無視した恣意的なものであって科学性に欠ける、c喉頭隆起、輪状軟骨の突出が明瞭であるとの根拠が薄弱である、d犯人画像と被告人画像の頚部の皺襞の走行状態が一致しているとの点については、石山鑑定との間に矛盾があり、犯人画像と被告人の身体的特徴が一致していないなどの点を指摘する。

〈3〉 そこで、検討するに、水口鑑定は、捜査当局が協力を要請した警察官一〇〇名余を含む一二一名の男性の体型、喉頭隆起、輪状軟骨の状態を調査し、喉頭隆起の突出状況の顕著さの程度にしたがってこれを五段階に、輪状軟骨の隆起が喉頭隆起と独立して識別できるかどうかとの観点からこれを三段階にそれぞれ分類している。これは犯人画像と被告人画像を比較するに際し、犯人画像に見られる喉頭隆起、輪状軟骨の状態に着目し、それが犯人を識別する上で比較、対照すべき身体的特徴となりうるか否かとの観点から、不特定、多数の日本人の喉頭部及びその周辺の状況を調査、分類したものであるところ、この分類方法は弁護人指摘のとおり水口鑑定人独自の分類方法ではあるが、犯人画像と被告人画像の比較が恣意的にならないための、いわば前提としての調査、分類であって、喉頭隆起の形状や輪状軟骨の輪郭、皮膚の皺襞や皮静脈の走行等は医学的に見て非常に変異に富んでいて、これらの先天的特徴は解剖学的特徴として個人識別のための一指標となることは後述する石山鑑定でも肯定されており、検査対象者の数が少数であるとか、そのほとんどが警察官であったからといって、右調査、分類自体が合理性を欠くことにはならないというべきである。また、右画像処理した犯人の正面像、背面像とこれと右検査対象者の正面及び背面像をその背景を基準に重ね合わせて頭、肩、喉頭隆起の位置を比較している点にについては、被検者の立つ位置や体の軸を決めたからといって、それが犯人画像に表れた犯人の位置や姿勢との微妙なずれによって異なった映像となることは想像に難くなく、したがって、それが犯人識別の決定的な決め手になるとは思われないが、犯人がどのような体型の人物かを知る上で参考となるとの限度においては有用であり、格別不合理な手法とはいえない。

たしかに、水口鑑定人は、頚部の写っている犯人画像のヘルメットの縁部分、首と上着の衿との境目部分の色調の違いやそれがノイズであるか否かの判別ができないなど、電気工学的知識を前提にした画像認識の技能に欠ける点があることは弁護人が指摘するとおりである。しかしながら、九月二六日に住友信託銀行新宿支店多摩センター出張所の防犯カメラで撮った犯人画像のVHSビデオテープ二本等合計三本の犯人画像のVHSビデオテープを資料として鑑定した電気工学的知識を前提とした画像認識の技能を有する前記坂田俊文は、右鑑定資料は犯人画像の解析をするについて画像認識上問題がなかったことを前提に鑑定を進めており、水口鑑定人自身、右のような技能に欠けることを認めた上で、犯人画像に見られる頚部の痕跡がノイズであれば局所的に濃淡が現れることを念頭において、それと思われる部分を排除し、顎顔面領域に関する法歯学上の専門知識を基に喉の部分の血管や皺の走行状態が人によって異なることに着目し、ビデオ画像から犯人の頚部画像上色彩の濃淡によって読み取れる線状あるいは影状の痕跡を選別し、これを被告人画像に現れた被告人の頚部の皺や血管部分に相当する位置に認められる線状あるいは影状の痕跡と対比し、その異同を検討しているのであって、そのこと自体非科学的で不合理であるとはいえず、同一の鑑定資料を使用して鑑定を行った石山鑑定人が前記公判調書中で鑑定前に画像認識の専門家である大日本印刷株式会社の社員が右テープを見分して画像認識上問題点がないことを確認している旨述べていることにもかんがみると、水口鑑定人が弁護人指摘の画像認識についての技能に乏しいことから鑑定人としての適格性がないとはいえない。

ところで、水口鑑定は、鑑定書添付の図33-1の犯人の頚部画像から犯人の喉頭隆起の形状や輪状軟骨の輪郭、皮膚の皺襞が読み取れるとして、透過像の得られるフィルムを使って等倍に焼き直した画像に重ね合わせ、同図33-2の透過フィルム画像上に皮膚表面の線状模様をトレースしている。犯人の身体的特徴の一つとして頚部の喉頭隆起及び輪状軟骨が隆起していることは水口鑑定、石山鑑定が指摘するとおり右図33-1の犯人画像から識別することができる。また、同図33-2の透過フィルム画像上にトレースした皮膚表面の複数の線状模様については、水口鑑定人自身、図33-1の画像写真自体から見てとれる皮膚表面の複数の線状模様との間に一部(図33-1の左端から四・七センチメートル、上端から三・六センチメートルのところにある黒点及びその斜め右下横の黒点)に少しずれのあることを認めている。しかしながら、水口鑑定人は、図33-1のうち、甲状軟骨のすぐ下(同図左端から約五一ミリ、下端から約二六ミリ弱付近)からスタートして左に向かい約五ミリ弱、そこから左上方三〇度に向かう連続した線状模様が確認できることなど、それが血管であるのか皺襞なのか写真上区別はできないとしながらも図33-2の透過フィルム画像上にトレースした皮膚表面の複数の線状模様の殆どが視認できるとしている。そして、水口鑑定人は、ビデオ画像等により被告人間の頚部を観察し、血管や皺襞を確認しており、これを右33-2のトレース図に表現した線状模様と比較し、その異同を判定することは画像認識についても専門知識に欠ける点があるとはいえ、集団遺伝学の専門知識を有する水口鑑定人として困難なことであったとは思われず、その鑑定結果は、後述するように、弁護人の指摘の諸点にもかかわらず、石山鑑定との間には基本的に矛盾したところはないのであって、不合理とまではいえない。

(2) 石山鑑定について

〈1〉 石山鑑定は、番号二ないし五の犯人画像(住友信託銀行新宿支店多摩センター出張所のATM五号機上の防犯カメラで平成四年九月二六日午前九時四分二九秒に撮影し、VHSビデオテープに収録した犯人画像)、平成七年一月二八日に警視庁総務部留置管理課第三七号調室において被告人の頚部を検査し(皮膚所見の診断は帝京大学医学部付属病院皮膚科学教室医局長奥野哲朗が補助)、八ミリビデオカメラで撮影しVHSビデオテープに収録した被告人の画像、同日同所においてカメラ撮影した被告人の写真を鑑定資料とし、右各ビデオテープの再生画像をプリントアウトした画像についてさらに淡い条件で白黒のコピーを作成し、これについて、プリント画像を参照しながら、頚部の解剖学的特徴を観察、比較して、犯人画像と被告人画像の符合性を判定しているところ、石山鑑定は、頚部の解剖学的特徴として、以下の点を指摘している。すなわち、ア、被告人画像における頚部は喉頭隆起の突出が顕著で、甲状腺軟骨の上甲状切痕をはっきり追及することができ、喉頭隆起の下には、これと独立に頚部中央に丸い隆起物が存在し、これから左右両側に上方に向かう隆起が派生している。この左右の隆起部は胸鎖乳突筋の内側に存在し、嚥下運動においては喉頭隆起の移動と連動して上下に運動し、この部位は頚部中央部の隆起物を含めて輪状軟骨の輪郭に相当する。このような頚部の特徴は、犯人画像においても頚部の顕著な特徴として認められ、この点に関しては被告人画像と犯人画像で異なる点を指摘できない。イ、犯人画像には右側頚部に右上方から喉頭隆起の下方に向かって走行する大きな線状模様が一条認められ(同鑑定書添付の図1-{2}の下段の画像の1-1の線)、これに平行してその直下に同方向に走行する別の線状模様が一条認められ(同画像1′-1′の線)、その下方には、同画像2-2、3-3の線状模様があり、そのほか、喉頭隆起の右斜め下方から右下方に走る線状模様(同画像4-4の線)が存在し、他方、被告人画像にもこれらに相当する線状模様が存在している。ウ、被告人画像には、喉頭隆起の右上方に一ミリメートル位の類円形の色素性母斑(ホクロ)が認められ、左側頚部にも二~三ミリメートル程度の同様の色素性母斑が認められ、また、頚部全体に小さな脂漏性角化症(老人性イボ)が多数認められる。犯人画像には喉頭隆起の上方に不明瞭な斑点が認められるが、これは被告人画像の喉頭隆起の上方に色素母斑が存在しているのと符合し、この母斑部で皮静脈がストップしているという所見とも一致している。石山鑑定は以上のような観察結果から、被告人画像と犯人画像とは喉頭隆起の形態的特徴、輪状軟骨の頚部皮膚面における輪郭及びそれらの位置関係、個人識別の標識としては医学的のみならず社会常識的に喉頭隆起や輪状軟骨の特徴の比較から見た同一性の判別よりも重要であると容認されている皮膚の皺襞や皮静脈の走行状態が一致している点を指摘し、このような特徴がどの程度の出現頻度であるかについてのはっきりしたデータベースであるわけではないが、右特徴がすべて揃っているのは希有な現象で、両者は類似しているという段階を超えていることは明らかであるとして、犯人画像と被告人画像とは同一人物であると判定している。

〈2〉 弁護人は、石山鑑定も信頼に値しないと主張し、その理由として、a鑑定人が電気工学的知識を前提にした画像認識の技能を有していないので鑑定人としての適格性がない、b犯人画像における「1-1」、「1′-1′」、「2-2」、「3-3」、「4-4」の線状模様は被告人画像のそれと一致していない、c犯人画像における頚部の色素性母斑はもともとビデオテープ画像におけるノイズの可能性があり、そうでないとしても、犯人画像における頚部の色素性母斑と被告人画像における頚部の斑点とは一致していないなどの点を指摘する。

〈3〉 そこで検討するに、石山鑑定人が電気工学的知識を前提にした画像認識の技能に欠ける点のあることは、同鑑定人自身も認めており、弁護人指摘のとおりである。しかしながら、石山鑑定が鑑定資料としたビデオテープの犯人画像は、坂田鑑定人により、これを解析する上で電気工学的な問題点があるとは指摘されていないことは前述したとおりである。そして、石山鑑定人は、被告人の頚部を検査し、そこに認められる斑点を直接確認しており、これが個人識別の標識としては喉頭隆起や輪状軟骨の特徴の比較から見た同一性の判別よりも重要であることが医学的のみならず社会常識的に容認されているとの認識の上に立って、右直接確認した被告人の頚部の斑点と、ノイズでないとの画像認識の専門家である大日本印刷株式会社社員の説明のあったVHSビデオテープに収録した犯人画像の頚部に写る斑点模様とを対比していて、犯人画像をプリントアウトした写真とだけ比較したわけではないのであって、このような対比の手法が非科学的であると断定することはできない。また、石山鑑定人は、犯人の頚部の線状模様と被告人の頚部の皺襞や皮血管の位置や形状との間にずれがあるとの点について、被告人の頚部を直接検査した時点では頚部の喉頭隆起を中心に左右八センチメートル、上下七センチメートルの範囲に合計七か所に火傷様の大きな傷痕があり、その影響を受けて被告人の皺襞や皮血管の状況が変化が生じること、八ミリビデオやカメラで被告人の頚部を撮影する際の撮影機材と被告人との位置関係により、犯人画像に写る犯人の位置や姿勢を正確に再現できないことから、被告人の頚部の皺襞や皮血管と犯人画像の頚部の線状模様との間にずれが生ずることを挙げて、両者の画像上にずれのあることから両者が別人であることにはならない旨述べているのであって、この説明は比較した右両画像に認められる線状模様の位置、形状が被告人の頚部の傷痕を考慮すると矛盾しないとの趣旨と解せられ、したがって、石山鑑定が指摘する両画像の「ずれ」の故をもって石山鑑定と水口鑑定との間に矛盾があるとはいえない。

(3) 以上のように、水口鑑定、石山鑑定とも、その鑑定手法が、ビデオカメラで撮影した犯人画像の解析と被告人画像とを対比するというものであり、たしかに、この方法による犯人と被告人との同一性の判定に関し、両画像の間にどの程度の一致点があれば同一人であると認定できるのかについての客観的かつ明確な基準は確定してはいないが、人体頚部の身体的特徴が個人識別の指標となりうることは医学的に肯定されているのであって、医学の専門知識を有する両鑑定人が、かかる観点に立って、被告人の頚部を直接検査して頚部の特徴を把握しつつ犯人画像を解析し、これと被告人画像を対比することは非科学的であるとはいえず、また、鑑定結果についても、少なくとも、犯人の頚部の特徴として取り上げた前記諸点と被告人画像に認められる頚部の特徴とが矛盾しないとの限度においては合理性が認められ、両鑑定は被告人が本件各窃盗の犯人であるか否かを判断する上で有用な積極証拠と考えるのが相当である。

四  被告人のアリバイ等について

1  弁護人は、本件各公訴事実記載の時間帯における被告人のいわゆるアリバイについて以下のように主張する。すなわち、被告人は、平成四年九月二五日に関しては、午後三時三〇分ころ夕刊の配達に出掛け、新聞配達が終了した後、普段の帰宅時間と変わらない午後五時ころ帰宅し、午後六時ころまで自宅にいた、また、翌二六日に関しては、午前八時一五分過ぎころ、春男が管理人事務所に訪ねてきたので一階の玄関で応対し、午前八時三〇分過ぎに妻花子が一階に降りた後、管理事務所窓口を挾んで花子と二人で春男と応対し、春男の退去後、花子が春男方に電話を掛けて管理組合の通帳と印鑑を預かっている旨連絡したりした後、当日が可燃ゴミの収集日であり、清掃作業員が休暇を取っていたため、自ら作業服に着替え、午前九時に管理事務所を開け、その後団地内の清掃作業に従事していた。このように、被告人は、本件各公訴事実記載の時間帯には各犯行現場には行っていないから被告人は無罪であるというのである。

2  被告人は、公判段階において、弁護人の主張に沿った供述をし(第一五回公判調書中の被告人の供述部分では九月二六日に管理事務所を開けた時間は午前八時五七分だという)、被告人の妻花子も、公判段階において、九月二五日については、「被告人が帰ってきたのはいつもと同じ時間帯の午後五時ころだったと思う」、九月二六日については、「午前九時少し前まで被告人と春男が事務所で話をしていて、春男が事務所を出て行った後の午前九時ころ自分が春男方に電話を掛けた。午前九時過ぎころ被告人がダストボックス付近の掃除をしているのを見ている」などと被告人の弁解に沿った供述をしている。

しかしながら、被告人も花子も被告人が九月二五日の夕刊を配達して帰宅した時間帯については、普段の生活パターンを基準にして午後五時ころという程度のものであって、正確な時刻として午後五時に帰宅したと言っているわけではなく、被告人自身第一三回公判では九月二五日は午後四時ころ家を出て新聞配達し、午後六時半には家に帰っていたが、これがいつものパターンであるとも供述していて、普段の生活パターンといってもある程度の幅があったことが窺われ、しかも、司法警察員近藤博ほか一名作成の「道のり時間測定捜査報告書」(甲一一七号)によって認められる九月二五日の犯行場所である三菱銀行多摩支店小田急永山駅出張所三菱クイックコーナーから被告人方管理事務所付近までの車使用の場合(車から降りてクイックコーナーまでは徒歩)の所要時間は長くても一二分程度であって、着替え等を含めその分帰宅が若干遅れたからといって通常の帰宅時間が大幅に遅れたことにはならず、花子がこれに不審を抱かず、被告人が普段の帰宅時間帯に帰宅したと思っていたからといって、被告人の同日午後五時前後の時間帯におけるいわゆるアリバイが成立することにはならない。

次に、九月二六日の点についてみるに、春男が同日朝被告人宅を退去した後、花子からの電話を受けた夏子の父丙原冬夫は、第一六回公判において、「甲野と名乗る女性からの電話を受け終えたのは午前八時三五分であり、その時刻は腕時計で確認してメモした。その後間もなくBさんという女性から『校外委員長と二人で近所の捜索するのはいかがでしょうか』との問い合わせの電話があり、電話を終えた直後に腕時計でその時間が午前八時五〇分であることを確認してメモした。腕時計は一年で一分位しかくるわない正確な時計である」と供述し、右各時間を記載したメモ(甲一〇六号)も存在する。他方、右Bは、第一六回公判において、「Cさんから『乙山(夏子)さんがいなくなったので、情報収集するため校外委員の連絡網を使ってほしい』との電話をもらってすぐ乙山さん方に電話を掛けたが、乙山さん方への電話が終わったのは午前八時五〇分ころだと思う」と供述し、Cも、司法警察員に対する供述調書(甲一一四号)で、B方に電話を掛けたのは午前八時四〇分ころであったと供述していて、その各供述内容に不自然なところはなく、右BやCの供述に照らすと夏子の父の供述は十分信用することができ、これに反する被告人及び花子の前記供述は信用できず、他に九月二六日の犯行時刻を中心とし、その前後の時間帯における被告人のアリバイの成立を認めるべき事情は存在しない。

弁護人は、仮に被告人が犯人だとすると、被告人は、九月二五日昼過ぎころから行方不明になっている夏子の問題を処理しなければならないはずであるのに、この点の解明が全くされていない。本件犯行の犯人はフルフェイス型のヘルメット、つなぎのレインウェア、黒のライダー用ブーツ、手袋を着用しているが、これらが発見されておらず、被告人の九月二五日、二六日の行動状況に照らすと、各犯行に際して、事前に右着衣に着替え、犯行後これを隠匿、処分する時間的余裕はなく、この間、被告人が右の服装をして行動している状況等を目撃した者も現れていない、窃取したという現金の保管、処分状況が証拠によって解明されていないなど、被告人が犯人であると認定するために解明すべき事実が証拠によって裏付けられていないので被告人を犯人と認定することはできないなどと主張する。

たしかに、夏子が九月二五日午後零時三〇分ころ以降、今日に至るまで行方不明の状態が続いていること、犯人が本件各犯行当時着用していたヘルメットや着衣、靴、手袋が発見されておらず、被告人が右服装に着替え、その姿で行動しているのを目撃した証人等も確保されていないこと、窃取した現金の保管やその処分状況も明確になっていないことは弁護人が指摘するとおりである。

しかしながら、被告人の九月二五日、二六日の行動状況についての弁解が信用できないことは前述したとおりであって、被告人が本件各犯行に際して、事前に右着衣に着替え、犯行後、これを隠匿、処分する時間的余裕はなかったとは考え難く、また、本件は、あくまでも窃盗事犯であって、被告人が夏子の行方不明にどのように関与したのかが解明されていないとか、犯人が犯行時に着用していた着衣等の存在や窃取した現金の保管、処分状況が証拠によって確定されていないからといって、被告人が夏子からキャッシュカードを入手し、これを使用して本件各犯行に及んだかどうかの認定は不可能とはいえないから、弁護人の右主張は採用できない。

五  結論

以上検討したところを総合すると、被告人が本件各窃盗の犯人であると認定するのが相当である。

(適用した法令)

一  罰条

判示各所為 いずれも(判示第二については包括して)平成七年法律第九一号(刑法の一部を改正する法律)附則二条一項本文、同法による改正前の刑法二三五条

二  併合罪の処理 同改正前の刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の最も重い判示第二の罪の刑に法定の加重)

三  未決勾留日数の算入

同改正前の刑法二一条

四  訴訟費用の不負担

刑訴法一八一条一項ただし書

(量刑の理由)

本件は、団地の管理人をしていて団地管理組合に多額の銀行預金があることを知った被告人が、正当な使用権限のない右団地管理組合理事長名義のキャッシュカードを使って、都市銀行数社の支店や出張所に設置された現金自動支払機から現金合計五七〇万円を引き出したという四件の窃盗事案であって、犯行態様が大胆かつ巧妙であり、被害額も多額であること、被告人が本件犯行を否認していることから当然の姿勢とはいえ、反省の情は窺われず、被害弁償もしていないことなどにかんがみると、犯情は悪質で、被告人の刑事責任は重い。

そうすると、被告人には前科や犯歴がないこと、家庭の事情などの酌むべき事情を十分考慮しても、被告人は主文掲記の刑は免れない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 中野久利)

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